Wednesday, January 28, 2009

国富論と安価な政府・見えざる手

国富論
こくふろん
目次:
国富論


イギリスの経済学者アダム・スミスの主著。1776年刊。『諸国民の富』とも訳される。原書名は『An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations』(諸国民の富の性質と原因に関する研究)で、5編からなる。スミスの奥行の深い道徳哲学や自然法学のなかから生み出された書物であり、単なる経済学の古典にとどまらず、広く市民社会思想の古典としての位置を占めている。それゆえに、それは後の経済学に受け継がれただけでなく、ヘーゲルやマルクスによって一つの市民社会体系として受け止められた。日本近代史のなかでも、それは富国策としてばかりでなく、市民社会化の指針として受け入れられてきた。
 スミスは、この書で富の源泉を探究したが、当時は、重商主義の金銀貨幣=富観と、重農学派の農業だけが富の源泉だという見方とが対立していた。スミスは、これに対して、年々の労働が富の源泉であり、したがって、一国の富は、第一に、農工商などの生産的労働における分業の細分化によって、第二に、生産的労働者を雇用する資本蓄積の度合いによって左右されるとみなした。そして、これを妨げている封建制や重商主義の停滞性・浪費性を批判した。全5編のうち1、2編は、分業、貨幣、価値、価格、分配、資本蓄積などの理論的分析を、3、4編は、封建的土地制度や重商主義の貿易・植民地政策の批判を、5編は、国家財政を主題としている。
 スミスにとって最大の問題は、根強い独占根性を有する一部の大商人・大製造業者の働きかけによって、国家の政策や立法が不当にゆがめられていることであった。そのため、植民地貿易などを通じて独占利潤が生じ、資本や労働の最適配置が妨げられ、総体としての富の増加が抑えられてしまう。また、その独占的貿易政策のため、友好国たるべきフランスと長期にわたる敵対状態に陥り、さらに、アメリカ独立戦争も起こってしまった。その経費をまかなうために赤字公債も累積しつつあった。したがって、1、2編で論証された自然的自由のあり方に即して政策や法を正すことが、3~5編を貫くスミスの課題であった。このような文脈のなかで「見えざる手」や「安価な政府」の観点が展開された。
[星野彰男]

見えざる手
みえざるて
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見えざる手

invisible hand

イギリスの古典派経済学者アダム・スミスが『道徳感情論』(1759)と『国富論』(1776)で、それぞれ一度ずつ使ったことばであるが、彼の予定調和の思想=自然法思想を象徴することばとされている。『道徳感情論』では、自然的秩序の成立は、諸個人の自己愛を制御する神の導きによるものとされている。しかし、『国富論』では、利己心の抑制を求めるのではなく、諸個人の利己的な経済活動が、結果的には、社会の生産力の発展に寄与し、また諸階級の利害も調整されて、繁栄のなかに自然的調和が成立することを、日常の経験的事実から演繹(えんえき)的に記述しようとしているのである。彼の理論において、自然的調和と繁栄に導くものは、自由競争市場における価値法則の作用と、利潤動機に導かれた資本投下の自然的序列=「富裕への自然のコース」であった。したがって、これが神の「見えざる手」の作用の具体的な現れと考えることができるのである。こうした自然的秩序を混乱させるものとして、重商主義国家による経済への介入を、彼は強く批判したのである。
[佐々木秀太]


夜警国家
やけいこっか
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夜警国家

Nachtwchterstaat ドイツ語

17世紀中葉から19世紀中葉にかけての資本主義国家の国家観。個人が自由にその経済活動を行えるように、国家の機能は、外敵の防御、国内の治安維持、必要最小限の公共事業にとどめるべし、という国家観。この国家観では、経済的には自由放任主義、財政的には「安価な政府」つまり「最良の政治(政府)は最小の政治(政府)」がよしとされる。夜警国家ということばは、ドイツの国家社会主義者ラッサールが、自由主義国家をブルジョア的私有財産の番人・夜警として批判したことに由来する。19世紀末以降、各国において社会・労働問題が顕在化すると、これらの問題を解決するために国家は積極的に社会・労働・経済政策に取り組むべしという福祉国家・社会国家・行政国家の考えが登場した。
[田中 浩]

福祉国家
ふくしこっか
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福祉国家

welfare state

一般には、国民の福祉増進を国家の目標とし、現実に相当程度に福祉を実現している現代国家をいう。19世紀的自由国家、夜警国家とは異なり、単に消極的な秩序維持にとどまらず、積極的に国民生活の安定・確保を任務とする国家であり、この意味では積極国家、社会国家Sozialstaat(ドイツ語)と同義である。なお、近世ドイツ=プロイセンの啓蒙(けいもう)専制王政も福祉国家Wohlfahrtsstaat(ドイツ語)とよばれていたが、それは、公共の福祉、人民の幸福増進の名のもとに、国家が人民の生活のすみずみまで干渉する警察国家Polizeistaat(ドイツ語)であった。今日、一般的に使われている意味での福祉国家は、1930年代末のイギリスで、ナチスの権力国家ないし戦争国家warfare stateとの対比において、国民の福祉の維持・向上を目ざす国家を意味するものとして用いられたことに始まり、第二次世界大戦後イギリス、スウェーデンなど多くの西欧諸国において、福祉国家の実現を目標とする諸政策が積極的に展開されたことにより、世界的に普及した。
 福祉国家の目標としては、貧困の解消、生活水準の安定、富・所得の平等化、国民一般の福祉の極大化などが掲げられるが、その具体的内容はそれぞれの国の歴史的・社会経済的諸条件により異なる。たとえば、イギリスでの福祉国家の形成に大きな影響を及ぼしたビバリッジ報告『社会保険および関連サービス』(1942)によれば、個々人の資力にかかわりなく全国民にナショナル・ミニマムを保障し、それによって「窮乏からの解放」を実現することが社会保障の目標であり、そのための制度としては、稼得の中断・喪失時に最低生活給付を行う社会保険を主体とし、これを有効に機能させるための前提条件としての完全雇用の達成、家族手当および国民保健サービスの創設などが必要となる。
 福祉国家の共通的特色の第一は、国民の生存権を保障するものとして、社会保障制度が確立していること。第二に、福祉国家は、経済的には資本主義の欠陥である貧富の格差や失業その他の不安定性を修正しようとする修正資本主義のもとでの国家であり、経済に対する国家のコントロールが広範に及んでいる国家である。第三に、政治的には、市民的自由と民主主義を基礎にしていることなどであるが、実際には行政権力の肥大化、官僚化などの問題を内包し、福祉国家論は現実を隠蔽(いんぺい)するイデオロギーであるとの批判もある。
[三橋良士明]

日本大百科全書
合理的予想仮説
ごうりてきよそうかせつ
目次:
合理的予想仮説

rational expectations hypothesis

家計や企業などの経済主体が経済変数の将来の値(たとえば1年後の物価水準、つまり向こう1年間のインフレ率)について予想する場合、その経済変数の値を決定する客観的仕組みについての知識、すなわちこの仕組みについての経済理論を統計データによって具体化した計量経済モデルを使って、その変数の将来値を計算し、それを予想値として採用するという仮説。合理的期待仮説ともいう。

 この仮説はもともと1961年にJ・F・ミュースによって提唱されたものであるが、70年代初めごろにR・E・ルーカスやT・J・サージェントらがこの仮説に注目し、これを主要な構成要素とするマクロ経済モデル、すなわち「マクロ合理的予想モデル」ないし「新しい古典派モデル」を構築し始めたので、にわかに脚光を浴びるようになった。この新型マクロ経済モデルの登場は、学界に「合理的予想革命」とよばれるほどの強烈な衝撃を与え、現代マクロ経済学の最大の焦点となっている。
 このモデルのもっとも注目すべき結論は、総需要管理政策によって実質国民所得や失業率のような実物変数を動かすことはできないという、完全に反ケインズ派的な結論である。図で、当初、経済は供給曲線(フィリップス曲線)S0S0と需要曲線D0D0の交点E0で長期均衡状態にあったとしよう。失業率は自然失業率Unで、予想インフレ率は実際のインフレ率0に等しい。いま、拡大的な貨幣政策が発動され、名目需要増加率が加速され需要曲線がD1D1にシフトするとしよう。もしこの政策発動にもかかわらず予想インフレ率が0のままであれば、供給曲線はS0S0のままであり、経済の短期均衡点はE1点となる。実際のインフレ率は0から1へ加速されるが、失業率はUnからU1へ低下する。つまり短期的なインフレと失業のトレード・オフが成立する。しかし合理的予想仮説のもとでは、需要曲線をD1D1へシフトさせる政策発動の情報が与えられると(またはこの政策発動が正確に予想されると)、各経済主体は図に図解されたような経済モデルから長期均衡状態におけるインフレ率が2になることを知り、ただちに予想インフレ率を0から2へ引き上げる。その結果、供給曲線はただちにS1S1へシフトする。経済は短期均衡点E1を経由することなく、政策発動と同時に新しい長期均衡点E2へシフトする。この場合には、インフレ率が0から2へ加速されるだけで、失業率はUnのまま変化しない。つまり合理的予想仮説のもとでは、インフレと失業のトレード・オフは短期的にも不可能となるのである。
 実質国民所得や失業率の短期変動、すなわち景気循環の原因は、このモデルでは、予想外のインフレ率の変動に求められる。そしてR・E・ルーカスやR・J・バローはインフレ率の決定要因として貨幣量増加率を重視しているので、景気循環の原因は、結局、予想外の貨幣量増加率に求められることになる。またこのモデルでは、どのような貨幣政策ルールも実物的効果を生まないので、M・フリードマンのX%ルールよりも優れた安定化効果の期待できるルールは存在しないことになり、さらに、X%ルールこそその単純さのゆえに予想外の貨幣量の変動を防止し、優れた安定化効果が期待できることになる。このように、この「マクロ合理的予想モデル」は、貨幣量を重視し、ケインズ派の安定化政策の効果を否定し、X%ルールを支持しているので、M・フリードマンの「貨幣主義I型」に対して「貨幣主義型」ともよばれている。
 合理的予想仮説そのものに対しては、政策ルールを含む経済構造に関する学習過程を無視している点、および情報の収集・利用のコストを無視している点で非現実的であるという批判が提起されているが、この仮説は、合理的行動という経済学の基本的公準に合致する点、および内生変数の予想値を同じく内生変数としてモデル内で説明できる点において、他の予想仮説よりも理論的に優れた特徴をもっている。有力な対抗仮説である適応的予想仮説は、予想しようとする変数の過去の実際値だけから予想値を計算し、その他のすべての有用な情報を無視する点、および予想誤差が連続的に発生しても予想方式の変更を認めない点において、明らかに欠陥がある。
 最近ではマクロ合理的予想モデルに対するケインズ派による批判の重点は、合理的予想仮説そのものよりは、このモデルの他の構成要素、とりわけ、市場はつねに均衡するという均衡仮説と、生産活動は予想外のインフレに対してのみ反応するというルーカス型供給関数とに置かれるようになっている。マクロ合理的予想モデルとケインズ派モデルのいずれが真理に近いかは、つまるところ、経験的データによって支持される率がどちらが高いかによって判定されることになるであろう。
[加藤寛孝]

ルーカス
るーかす
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ルーカス

Robert E. Lucas, Jr.
[1937― ]

アメリカの経済学者。新古典派経済学を奉じるシカゴ学派の代表的な学者である。ワシントン州ヤキマ生まれ。1959年にシカゴ大学で歴史学の学位を得た後、経済学に転じ、64年に同大学で経済学博士号を取得。カーネギー工科大学(現カーネギー・メロン大学)などを経て、75年からシカゴ大学教授。「合理的期待形成仮説(hypothesis of rational expectations)を発展させ、マクロ経済分析を変革し、経済政策に対する理解を深めた」との理由で、95年のノーベル経済学賞を受賞した。

  1972年に論文「Expectations and the Neutrality of Money」を発表。裁量的な財政・金融政策による景気刺激策が有効だとするケインズ経済理論を批判し、政策無効命題を掲げて、景気低迷とインフレが同時に進行した70年代に注目を浴びた。人々は情報を最大限に活用して期待を形成するので、合理的期待を織り込んでいない計量モデルによる将来予測は当たらないとの仮説は、各国の政策に大きな影響を及ぼしている。
[矢野 武]

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