Monday, January 26, 2009

文化

ぶん‐か【文化】

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ぶん‐か〔‐クワ〕【文化】

1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の―」「東西の―の交流」

2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。

3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「―住宅」

[用法] 文化・文明――「文化」は民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、世代を通じて伝承されていくものを意味する。◇「文明」は人間の知恵が進み、技術が進歩して、生活が便利に快適になる面に重点がある。◇「文化」と「文明」の使い分けは、「文化」が各時代にわたって広範囲で、精神的所産を重視しているのに対し、「文明」は時代・地域とも限定され、経済・技術の進歩に重きを置くというのが一応の目安である。「中国文化」というと古代から現代までだが、「黄河文明」というと古代に黄河流域に発達した文化に限られる。「西洋文化」は古代から現代にいたるヨーロッパ文化をいうが、「西洋文明」は特に西洋近代の機械文明に限っていうことがある。◇「文化」のほうが広く使われ、「文化住宅」「文化生活」「文化包丁」などでは便利・新式の意となる。

文化
ぶんか
目次:
文化
1. 文化とは
2. 文化の起源
3. 文化の構成要素と構造
4. 文化の変化
5. 文化の普遍性と特殊性
6. 日本文化論


漢語としての「文化」は「文治教化」(刑罰や威力を用いないで導き教える)という意味で古くから使われ、文化・文政(ぶんせい)という年号にも使われた。しかし、今日広く使われている「文化」は、ラテン語cultura(耕作・育成を意味する)に由来する英語culture、フランス語culture、ドイツ語Kulturの訳語である。中国でもこの訳語が逆輸入して用いられている。この訳語は通俗的には、たとえば文化住宅、文化的な暮らしという表現のように、近代的、欧米風、便利さを示すことばとして広範に使われてきた。また、これとは別に、学問的な装いを凝らした用法が二つある。第一は、学問、芸術、宗教、道徳のように、主として精神的活動から直接的に生み出されたものを文化という。そこには、少なくとも理念としては、人間の営みを充実向上させるうえで新しい価値を創造するという意味が含まれている。ひと口にいえば、知性や教養ともいえる。この用法は、多くの場合文明と対比して使われ、物的な所産を文明とよぶドイツの思想を受け継いでいる。この用法は、次に述べる第二の用法よりも普及しているし、第二の用法においても、第一の用法の意味が暗黙裏に下敷きとされている場合が多い。第一の用法は普通、個別文化の間に高低・優劣という評価を伴いがちであるが、第二の用法はこうした評価を下さない。すなわち、第二の用法は、あらゆる人間集団がそれぞれもっている生活様式を広く総称して文化とよび、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっているから、個別文化の間には高低・優劣の差がつけられないとする。採集狩猟、定住食糧生産、都市居住者の商工業を営む人々の生活様式にはそれぞれ独自な価値があり、その間に甲乙はないとされる。この第二の用法はイギリス、アメリカなどの文化人類学の主張であり、日本にも第二次世界大戦後に急速に普及した。以下、第二の用法の「文化」を説明する。
文化とは


 動物の行動はもっぱら遺伝と本能によって支えられているが、人間は、遺伝と本能に加えて、経験と模倣、および言語を通して、集団の一員としての思考、感情、行動を仲間から学習(習得)し、獲得したものを同世代、後世代の人々に伝達する。こうして集団の一員として学習、伝達されるものが、一つのセットとして統合性をもつ総体を文化と定義できる。たとえば国家、民族、部族、地域、宗教、言語などのレベルで、アメリカ文化、漢族文化、エスキモー文化、オセアニア文化、イスラム文化、ラテン文化などがあげられる。これらの一部分を構成して相対的な独自性をもつものをサブカルチャー(下位文化)という。たとえば、個別文化における農民文化と商人文化、東日本文化と西日本文化、貴族文化と庶民文化などが下位文化の例としてあげられる。
文化の起源


 文化をもつのは人類だけであり、動物には文化がないというのが通説であるが、この違いを脳の発達程度から説明することはできない。複雑な道具の製作は人類に限られるとよくいわれるが、人類の原初的形態とされるアウストラロピテクスの脳容量は複雑な道具を製作しない類人猿のそれとほぼ同じだからである。人類と動物の違いを決定的にしたのは直立二足歩行である。直立二足歩行によって、人類の大脳に言語中枢が発生し、神経調整が高度化したので、言語が生まれ、複雑な道具の製作が可能になった。言語は、音声が無秩序に合成されたものではなく、各集団が独自に、特定の音声を特定の規則性に基づいて配列し、それに特定の意味を与えて象徴的に使用するものである。こうした言語の発生が、複雑な記憶を可能にし、思考の抽象化と体系化を可能にした。こうして人類は初めて、学習能力を飛躍的に高め、学習内容を正確かつ広範囲に伝達するようになった。この点に人類と類人猿の違い、ひいては文化の発生を認めるのが通説であるが、これに対して、類人猿にも言語が芽生えているし、文化の萌芽(ほうが)があるとして、これを原文化proto-cultureとよぶ考え方もある。
文化の構成要素と構造


 思考、感情、衣、食、住、機械、制度などが一つのセットとして集団の文化が構成されており、これらの構成諸要素は言語、価値、社会、技術の4分野に大別される。各分野はそれぞれ独自の機能と相対的な自律性をもつと同時に、互いに関連をもちつつ補足しあい、一つの全体としてのまとまりをもっている。このうち、独自の機能と自律性をもっとも強く保ち、他分野からの影響をもっとも受けにくいのは言語である(借用語は増えても発音、文法の基礎はきわめて変わりにくい)。価値の分野(道徳、思想、宗教、自然観、価値観など)は人間の内面にかかわり、すべての行動の方向決定を左右する。このような言語と価値を重視した視点から、文化に関する前述の第一の見解が成立してくる。慣習、制度、法律から日常的交際を含む社会関係は、他の分野とのかかわりが大きい。技術は、科学・経済的活動、自然への適応にとって中心的役割を果たし、他の3分野と違って、累積的であることがはっきりしているし、進歩という尺度を当てはめることができる。
 各集団はそれぞれ、文化の構成要素を無秩序かつ恣意(しい)的に寄せ集めるのではない。そこには、たとえ個人としては気づかないにせよ、集団の選択意思が働いている。こうした過程のなかで、諸要素は統合され、一つの全体を構成し、結果としては独自性をもつ個別文化が形成される。個別文化を構成する一つ一つの要素は基本的には、全体を構成する部分として機能する。したがって個別文化は、無機物のような集合体でないのはもちろん、価値によって生き方(存続の基盤と方向)を調整する点において、人類以外の有機物とも違うので、超有機的であるともいえる。以上の意味で、文化は統合形態configurationともいわれ、個別文化は独自のパターン(型、類型、範型)をもっており、個別文化は主題themeをもっているということができる。
 ある一つの文化要素、または文化諸要素の複合(組合せ)を地域的な広がりとして把握したものが文化領域である。この際、歴史的な生成の過程に対応して文化層を設定して、これと空間的な広がりを重ね合わせたものが文化圏である。文化領域・文化圏はともに、個別文化の内部にも、個別文化を超えてもみいだせる。
文化の変化


 個別文化は長期間にわたり、外部的・内部的な調整を経て統合され、独自なパターンを形成したものであるから、固執性をもっており、変化しにくい。しかし、内部諸要素間の矛盾、または外部環境の変化にうまく適応できないで、統合性が弱くなると、別の新しい統合を求めて変化が生じる。民族性も国民性も不変のものではなく、変貌(へんぼう)するものである。
 文化諸要素のなかには、直接に知覚し、気づきやすいものと、そうでないものとがある。前者は顕在的文化といわれ、後者は文化の基層部に潜んでいるものであって、隠れた文化とか基層文化といわれる。概して後者のほうが前者よりも変化しにくいので、両者の間に変化する程度にずれが生じやすく、これを「文化のずれ」cultural lagという。たとえば明治以降の日本では、産業や制度は急速に欧米化・近代化の道をたどってきたが、日常生活、家族観、男女観などには古い伝統や因習が強く残っており、そこには大きな「ずれ」がみられる。
 文化の変化を引き起こすものは、究極的には当該文化の内部にあるのか外部にあるのか、それは具体的にはなんであるか、という問題は、個別文化の中核にあって統合を規定し、その文化の構造を規定する決定要因を何に求めるかという問題でもある。文化人類学者のなかでは、これをアメリカの人類学者ベネディクトがライト・モチーフ、同じくアメリカの人類学者クラックホーンがエトスとよんで、価値体系ないし精神活動としてとらえている。他方、マルクス主義では、物質的条件、とくに経済行動(下部構造)を決定要因であるとし、生産力と生産諸関係の矛盾からすべての変化が説明される。さらに、文化のなかでの言語・価値の分野を重視して、上部構造である文化は下部構造からの相対的自律性を保つとして、マルクス主義を限定的に解釈する立場もある。これらの論議は多岐にわたり、多かれ少なかれ歴史観、世界観、イデオロギーとも関連しており、定説はないというのが穏当な見解であろう。
 文化を主要な研究対象とする文化人類学の学説史をみても、文化変化を引き起こす究極的な要因は十分には説明されていない。関連する学説としては、単系的進化論(文化は世界中どこでも一様な過程を経て進化する)、独立起源説(人間の精神的素質はどこでも本質的には同一であるから、類似した文化がどこにでも独立的に発生する)、伝播(でんぱ)説(文化の発展を促したような主要な発明・発見は地球上の一か所でおこり、それが各地に伝播する。文化圏もその変形)などが批判されたあとに、多線的進化論(各地の条件に応じて特定の文化が各地で別々に進化する)が唱えられた。これらの論議はどれも厳密な論証を欠き、今日の学界はこの論議にあまり関心を示さない。文化人類学界の主流は、個別文化のいっそう精緻(せいち)な実証研究に励み、文化変化の決定要因の一般化にはあまり関心を示さない。
 他方、文学や思想の分野においては、実証を伴わない文化論が盛んである。こうしたなかで、文化の決定要因を探る努力はいっそう推進されるべきであろう。
文化の普遍性と特殊性


 個別文化は独自性と特殊性をもっていて、諸々の個別文化の間に優劣はないというのが文化相対主義である。確かに、個別文化は他の個別文化にとってかえられない独自性と特殊性をもっている。したがって、その文化自体に即して内在的に理解することが必要である。すなわち、個別文化を構成する諸要素の内容と諸関係を把握するだけではなく、それらが当該個別文化にとって、どのような独自な意味をもっているかを解明しなければならない。ところが、ある現象の固有な意味は、類似の現象にみられる共通な意味との違いを前提にして初めて明らかになる。もともと特殊性と普遍性の関係はそのようなものであって、個別文化の理解には汎(はん)人類的な認識が必要である。
 汎人類的なものとして、だれもが人間性(ヒューマニティー)を仮定する。人間性というのは、ホモ・サピエンスのだれもが、幼児期以後に、普通の学習能力をもっている限り、文化によって特徴づけられている社会のなかで育てられるときにもつようになる性質のことである。両性の存在、幼児の無力さ、食と住と性愛という基本的な条件に対応するために、人類は少しずつ異なった(特殊的な)数多くの解答(よしとされ是認された扱い方)を用意している。こうした文化の相対性の底には、すべての文化がもっている基礎的な枠組み(たとえば親族の形態、結婚の規則など)があり、そこに人間性をみいだすことができる。この人間性をもっとも典型的に示すのが近親相姦(そうかん)禁忌(インセスト・タブー)だとされてきた。しかし、この禁忌についても、再検討が進むにつれて、その普遍性を疑問視する説が強まっている。
 こうしてみてくると、文化の普遍性に関するわれわれの認識は、文化の特殊性に関する研究に比べてはるかに遅れていることがわかる。文化の普遍性と特殊性という対照的な極限概念は、車の両輪のような不可分離の関係をもっているし、また、文化を理解し分析するうえでつねに意識され追求されているにもかかわらず、十分には使いこなされておらず、期待しているほどの成果があげられていないので、今後の文化論はこの方向に向けていっそうの努力を傾けることになるであろう。その努力を怠るならば、自らの個別文化によって条件づけられている現実存在としてのひとりひとりの人間が、人類的広がりのなかに展開している無数の異文化を理解して、真の相互理解に達することはむずかしいはずである。
日本文化論


 こうした見地からみると、日本文化に関する多くの議論もまた、もっぱら日本文化の特殊性の解明に向けられているので、はたして特殊であるかどうかさえ危ぶまれる。かりに特殊性のみを追求するとしても、その方法論には多くの疑問が提出されている。日本文化論のキーワードとしてあげられるのは、タテ社会、甘え、コンセンサスないし調和、集団志向などであるが、どの概念も不正確であって、現象を描写する叙述概念として使われていると同時に、異文化と比較するための変数としての分析概念としても使用されている。また、適切なサンプル抽出の手続を経ないで、恣意的・断片的な実例や体験だけから一般化が試みられている。さらに、「西洋」や「欧米」を十把ひとからげにしたステレオタイプ的なイメージに基づいて、日本の特殊性が説かれている。また、歴史的に考察しないで、不変の「日本的なもの」があるかのように主張されてもいる。こうした根本的な欠陥をもつ日本文化論、ひいては日本人論、日本社会論が、しばしば政界・財界のイデオロギーとしても国内で喧伝(けんでん)されるばかりでなく、国際社会にも輸出されている。これらの批判を踏まえた新しい日本文化論が、主として外国人の日本研究者を中心として展開され始めている。
[鈴木二郎]

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